深田 上 免田 岡原 須恵

ヨケマン談義2. 30万年前の凝灰岩風景

2-1 加久藤カルデラ湖

 湖が消えたのは約100万年前であるが、本稿は約30万年後の話である。わたし達の人吉球磨地方には、約30万年前の風景や、その頃の岩石を使った建造物を現在でも散見できる。それは、今から約33万年前、加久藤カルデラ噴火による火山灰が高温状態で降下して固まった加久藤溶結凝灰岩が主に球磨川右岸にあるからである。深田石とも呼ばれる。

 約30万年前に破局的噴火をした加久藤カルデラの位置関係を図1に示す。
JRの線路駅を使って説明すると、西側は肥薩線の吉松駅、北側は吉都線の京町温泉駅、東側は吉都線のえびの駅・えびの上駅、南側は現在、霧島火山帯となっており境界ははっきりしない。人吉球磨地方から加久藤カルデラまでの距離は、カルデラの北端から矢岳までは5km、人吉駅前の球磨川までは17km、湯前駅までは30kmという距離である。そこで破局的大噴火があり、半径約50kmの範囲に溶結凝灰岩の地層が形成された。それが今も人吉球磨地方の風景として、または建造物の材料として残っている。これは加久藤カルデラ噴火による災害がこの地に及んだ証であり、モニュメントである。その幾つかを紹介しよう。

カルデラ
図1.加久藤カルデラの位置と現在の霧島火山群(図のクリックで拡大)(原典:Wikimedia)

1.加久藤溶結凝灰岩のある風景 自然渓谷

1)「鹿目の滝(かなめのたき)」 ・ 「大野渓谷(おおのけいこく)

 図2は、日本の滝100選の一つ「鹿目の滝(かなめのたき)」であり、落差36m、滝壁は柱状節理である。通常の柱状節理は、高温のマグマ(約850℃)で固まって岩石になるが、冷却の過程で体積がわずかに収縮したための割れ目である。しかしこの滝壁は火山灰が溶結凝結する過程でできた珍しいものである。ここの河原には、先に述べた人吉層も火砕物に覆われ形で残っている。場所は人吉市鹿目町、人吉駅からバスがある。

鹿目の滝 大野渓谷
図2.鹿目の滝(人吉市)
図3.大野渓谷(人吉市)

 人吉梅林の近くに、図3に示すような「大野渓谷(おおのけいこく)」がある。場所は人吉市大畑麓町南。この渓谷も約30万年前の加久藤カルデラ噴火の時の火砕流の通り道の一つであった。大野渓谷をさかのぼれば「矢岳」であるが、矢岳高原には巨石が道端にも転がっている。巨石は磐座(いわくら)、すなわち、神の御座所として敬(うやま)われているが、矢岳は加久藤火山の外輪山であるから、この巨石は加久藤カルデラ噴火時の噴石なのである。

 2)「釜の奥戸(かまのくど)」と「魚背岩(ぎょはいがん)

 図4左は「釜の奥戸(かまのくど)」、場所は、人吉市赤池原町、人吉クラフトパークの裏を流れている鳩胸川にある。この川の上流は大野渓谷や矢岳であり、加久藤カルデラの噴火のとき火砕流が通り、火山灰が流れ下った川の一つである。従って、この奇岩も溶結凝灰岩であり、800℃位の火山灰が積り重なって圧縮され、火山灰粒子が溶結・凝固して岩となったものである。

釜の奥戸(かまのくど) 魚肺がん
図4.左:「釜の奥戸(かまのくど)」
右:「魚背岩(ぎょはいがん)」

 球磨川には巨大な魚の群れのように見える岩がある。この奇岩はあさぎり町深田西の古町橋上流300m位のところに集中している。古町橋から球磨川をのぞいてみると、川底に巨大な魚(大きいものは長さ5、6m程)の群れのように見える。図4右がそれで「魚背岩(ぎょはいがん)」と呼ばれるものである。この魚背岩も加久藤溶結凝灰岩で、川底を流れる泥砂混じりの水流が長い年月かけて熔結凝灰岩を削り、地質学者でもある原田先生は、これを魚背岩と呼ばれた。古町橋の上から魚背岩を眺めていると、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)が並ばせたワニの背をぴょんぴょんと飛び渡る様が浮かんでくる。専門的にはこのような河床を「ヤルダン状河床」と呼び、水の流れが長年の間に岩肌を削り取ったため流線型の岩になったのである。

3)「立岩(たていわ)」と球磨川舟運の舟留り

 図5左は、地元では「立岩(たていわ)」と呼ばれる加久藤溶結凝灰岩の岩塊で道路にへばりつくような形でたっている。詳細は別項で述べるが、ここはかつての河川舟運(かせんしゅううん)の船着場(舟留り)であり、現在は、舟運遺構としてあさぎり町の指定史跡になっている。場所は、あさぎり町深田西地区の球磨川にかかる古町橋の下流300mほどの所である。案内板には、ここを発船場として、満載した荷役船が人吉方面の下流へ出発していたとある。道向かいの崖も、また、立岩のすぐ東側の県道の下を後述する「木下用水路トンネル」が横切っているが、この壁も加久藤溶結凝灰岩である。これらは、ここから西南約20kmにある加久藤盆地を噴火口とした大爆発によってつくられた火砕物の堆積物である。

立岩 凝灰岩壁
図5.左:「立岩」(深田西) 右: 高原・球磨川右岸の凝灰岩壁

 理由は後述するが、加久藤凝灰岩は、球磨川右岸にしか分布していない。その典型が図5右に示す球磨川右岸の高原(たかんばる)地区の加久藤凝灰岩壁である。この対岸はツクシイバラの群生地、球磨川河川敷である。この崖のすぐ上の台地には、別項で述べるように、海軍の秘匿飛行場があって、現在は地下壕などが戦争遺構として公開されいる。この高原台地には温泉施設があって、球磨住人の憩いの場であったことは余り知られていない。建物の基礎が今でも残っている。

4) 人吉球磨近郷の加久藤溶結凝灰岩風景

 人吉球磨の近郊で、加久藤火山の火砕物による素晴らしい景観は、図6左に示す伊佐市大口町にある東洋のナイアガラと呼ばれる壮大な「曽木の滝」である。この滝の壮大さは現地で見て感じてもらうしかない。この滝は川内川であるが、その上流は、はるか白髪岳の裏側に源がある。さきに述べた人吉球磨湖の水が流れ下ったかも知れない川である。

曾木の滝 犬飼滝
図6. 左:曾木の滝(伊佐市)
右:犬飼滝(霧島市牧園)

 現在の霧島市牧園町には、図6右のような、坂本竜馬が妻お龍と日本初の新婚旅行先にした「犬飼滝」がある。竜馬は、その滝の迫力を「この世の外かと思われほどのめずらしき所なり」と絶賛したそうである。

 さらに、都城市関之尾町では図7左のような「関之尾滝」や図7右の「関の尾の甌穴(おうけつ)」という名瀑 や奇岩を生み出した。甌穴とは、地質学的にはポットホールと呼ばれるもので、川の水流が小石や岩石を巻き込んで河床の岩の軟らかい部分を丸く削り込み、更にそこに落ち込んだ小石が回転して穴をだんだん大きくしたものである。これらはいずれも加久藤カルデラの火山活動にともなう火砕物が川による悠久の浸食作用によって形成された景観である。

関之尾の滝 甌穴
図7.左:関之尾滝(都城市)
右:関の尾の甌穴(おうけつ)

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